カフェ カリオカ
ウィンドウに何か描いてくれないかい?――いつかカフェ カリオカのおばさんが自分に言った。
窓の外にはダーリングハーバーから昇って来るモノレールが見える。自分はそのカフェで不出来なその日のスケッチをそれでも未練がましく眺める。そんな日々をこのシドニーで一年程続けて、自分はある時、帰国を決めた。
「――エスプレッソを」
すると、いつもはカプチーノばかりだった自分に、
「日本に帰るのかい?」なんて、目敏いおばさんだな。
「またこの街に来たらここへも来るんだよ、いいね?」
店を出際にそう言われたものだから、まだ帰国には日があるのに何だか逆に来づらくなったじゃないか。
そうだ、いつか自分の絵が好きだと言ってくれたお礼に、ウィンドウには描けないけれど、一枚の絵をあげよう。
たしか6号くらいの大きさだったろう、物憂気な淡いヴァンダイクブラウンの空に一本の木が高く伸びている絵だ。
――「この絵は素晴らしいわ。サインはきちんとしてあるでしょうね?あら、そこの壁には合うかしら?それとも家に飾ろうかしら?ねえ、どうだい、素敵じゃないの?」と、大げさに言って傍の娘に相槌を求めた。
そういえばおばさん、最後の日に自分が差し出したコーヒー代を突っ返して、こうも言ったな。
「今度来た時に払っておくれ」
今度来る時、か。いや、おばさん、随分割に合わないお約束です。この間めずらしく出来の良い絵をあげたじゃないか。それにオレはこれからどんどん有名になる人間でその絵だっていつかは……
おばさんはまた大げさに笑う。自分の声は途中で遮られる。
「これから有名になる画家に!」
窓の外にまたモノレールが走って来る。慌ただしい街の喧噪が午後の日光に揺れた。